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2022年3月6日
トークセッション「人形劇の魅力」
50周年記念フェスティバルに参加している人形劇団の「創造の現場」から、
なぜ人形劇なのか、「人形劇の魅力」をとことん深堀りします。
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アーカイブ公開しました! ご要望にお応えして配信期間延長しました!
https://youtu.be/YbPVYGnfFqg
【出演スピーカー(敬称略)】
人形劇団京芸 石川幹洋
人形劇団ひとみ座 松本美里
人形劇団クラルテ 高平和子 松原康弘
人形劇団むすび座 大野正雄
人形劇団プーク 井上幸子 栗原弘昌
【ゲストスピーカー】
西上寛樹
(フリー劇作家 ひとみ座「はれときどきぶた」脚色・演出/むすび座「トッケビ」脚本)
全体司会 伊井治彦
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2022年2月22日
プーク人形劇場誕生50周年シリーズ⑩
先月はプーク人形劇場の建物についてお話いたしました。最近ご来場の際に劇場の外観を見上げてくださる方をよく見掛けます。興味を持ってくださってとてもうれしく思います。
劇場の壁には、目を凝らすと様々な装飾が施されているのですが、何の印だろうと不思議に思われた方もいらっしゃるかもしれません。
今回は1991年プーク人形劇場誕生20周年の記念の年に発行された「みんなとプーク」第143号『こどものページ』のコーナーから、じっくり解説いたします。

『こどものページ』より
~人形劇おじさんの話 No.31~
劇場の壁には何が彫ってあるの?
プーク人形劇場の正面の壁には1階から5階まで、いろいろな彫刻が掘られています。
これはプークが誕生してから劇場ができるまでを絵と文字で彫りつけた人形劇団プークの歴史です。
この彫刻は20年前、この劇場を建てたとき、おじさんが構図を考えてデザインをし、彫刻家の野口鎮さん(元プーク美術部員・行動美術会員)に協力してもらって掘ったものです。



劇団の人たちも、ある人はブタの目、別の人はオリーブの葉を一枚ずつと手伝って掘り上げました。
全部彫り上げるのには1ヵ月ちかくかかりました。


一番上に掘ってある1929はプークができた年号で、今から62年前です。そのときの劇場の名前は「人形クラブ」で、エスペラント(万国共通語)では、LA PUPA KLUBO、PUKはそれを略したもので、戦争後、それを劇団の名前にして人形劇団プークになったのです。
その下にTOJO、またその下にPiriとあるのは劇団創立者川尻東次の名前で、子どものときピリケン(キューピー)そっくりでピリはニックネームです。
けれどそのころの日本には芸術の仕事に自由がなく、1933年にはプークの名前で活動することができなくなり「パンチ座」と名前をかえました。ここから年号の文字が凹字になるのはそのためです。
パンチ座のとき、おじさんは日本ではじめて両手使いの人形を作ったので、その首を掘りました。


次は4階です。1935年には「お人形座」に変り、初めて影絵が上演されました。1936年にはまた人形劇団「ユーナプーポ」(若い人形)に変わりましたが、1938年には劇団員は人形を作って売る人形工房という共同生活をしながら活動を続けました。


3階にうつると、左半分の壁はデコボコに掘り荒らされていますが、これは太平洋戦争がはじまる前の年1940年に人形工房は全員警察に検挙され、劇団は解散させられ、戦争が終わるまでは、プークはなくなったようにして活動したのでした。
ここに掘られている何人かの人たちの名前は、その間に亡くなった犠牲者たちです。鉄かぶとのガイコツとサーベルと鉄砲は、そのころの警察と軍隊を表わしています。手すりに掘られた人形を使う形の手に持った麦の穂は折られています。
3階中央には、平和を表わすオリーブの枝に日本が戦争に負けた1945年8月15日の記念日が掘られています。けれどその左にもう一人、戦争が終わっても警察から釈放されずに死んだ犠牲者の名前が掘られています。

1946年は凸字で掘られています。焼け跡の目白にバラック小屋を建て、人形劇団プークが再建された年で、そのときの劇団のマークは丸太の棒から生まれたピノッキオでした。
その右にあるのは劇団ができてから戦後まで、プークのみんなの面倒を見てくれた劇団の母親ともいうべき川尻東次の母親の名前です。

1948年は現在劇場のあるこの場所にプークの事務所とけいこ場ができた年です。劇団員はここで共同生活をし、劇団のマークもPマークに変り、プークに花が咲きはじめました。マークの下に共同生活を支えた二人の名前があります。


劇場玄関の上の名前のPUK(プーク)PUPA(プーパ)TEATRO(劇場)の右に1949・1PPと凹字が掘られ、その下に凸字で1967・2PPとあります。
1949年には、現在の劇場の道をへだてた反対側に、プークの百坪(330平方メートル)の土地にアトリエと住宅があり、さらにホールのあるプー吉会館を建てようと1PP(第1次プーク建設計画)をはじめましたが失敗に終わったので、これは凹字で掘られています。
それからいろいろな困難がありましたが、劇団は力を養い、1967年には劇団創立40周年までにはなんとしてもプークの劇場を建てようと2PP(第2次プーク建設計画)を出発させて全力をあげてがんばりました。
劇場名の左に掘られた1960とその下のマークは、この年日本ではじめてプークがUNIMA(国際人形劇連盟)に加入したので、ウニマのマークの人形がプークの旗を持っています。

そして玄関入口の左の壁の上に掘られているように、計画より4年遅れた1971年11月26日東次忌(川尻東次の命日)に2PPは成功し、プーク人形劇場が誕生しました。
今年はそれからちょうど20周年の記念の年です。(絵と文/川尻泰司、1991年11月20日発行「みんなとプーク」第143号『こどものページ』より)


2022年2月1日
P.P.T.50フェス いよいよ今月開幕!

いよいよ今月12日から、『P.P.T.50フェス』開幕です!
5劇団連続ジョイント公演に先立って、プーク人形劇場のロビー展示スペースに5劇団の人形たちが集まって、皆様をお出迎えいたします。どうぞお楽しみに!
連続公演の詳細はこちらを御覧ください!
★5劇団の作品のみどころ!
参加劇団から届いたメッセージや、お客様の感想、プークスタッフからのおすすめポイントなど…
【おさん茂右衛門語り草】/人形劇団京芸
『心中』の美学とは対象的な、辛くて苦しくて、しかし愛に満ち溢れた逃避行を選んだ二人の道行きを、どうぞ一緒に歩いてみてください。
『井原西鶴が描いた人間の『業』を、ひとり芝居で演 じる大人な人形劇!』
【はれときどきぶた】/人形劇団ひとみ座
奇想天外なお話が人形劇に!三人の人形遣いが、ボサノバギターの調べに乗せて、オシャレで不思議なアンサンブルを繰り広げます。
『あの「はれぶた」がおしゃれ!子どもも親も、夢中の1時間でした。』
『子どもの頃に読んだ「はれぶた」が懐かしく、泣きそうに・・・』
【現代版・イソップ「約束・・・」】/人形劇団プーク
情報化社会にとまどう狼と、その様子を俯瞰して眺める狐。現代のスピードからこぼれ落ちていくものをすくい集め、“今”を見つめる風刺劇!
『表情の変わらない人形に心揺さぶられました。』
『ユーモアと風刺の利いた会話、おみごと!』
【カマキリと月 / ずんぐりイモムシの夢】/人形劇団クラルテ
南アフリカの小さな虫たちの世界をアフリカンポリフォニーで響き合う雄大な大地を感じてください。
『アフリカの不思議な打楽器の生演奏。虫たちのコミカルな動きがかわいい!』
【トッケビ ー鬼ヶ島と呼ばれた島ー】/人形劇団むすび座
鹿児島の中高生の想いが生んだ、姿かたちを観る人にゆだねる『人形劇の新境地』。想像力が未来を拓く!
『見ごたえアリ!世界中で起こっている様々な出来事、親子で語り合いたいと思いました。』
『素晴らしい物語を懸命につむぐ演者の皆様の熱量に感動!』
【死神】/人形劇団プーク
落語とはひと味違います。人形劇ならではの演出でお魅せします。結末は・・・ぜひ、その眼でお確かめください。
『個性的でインパクトのある人形たち!あの有名古典落語が、ちょい怖・可笑しな人形劇に。』
5劇団連続ジョイント公演に先行して
『オカピぼうやのちいさなぼうけん』出版記念イベント
全編生演奏にのせてお届けする人形劇
『オカピぼうやのちいさなぼうけん〜LIVE上演 with 3日満月〜
がございます。
2月12日、13日の2ステージです。こちらもぜひお越しください。
通常の公演
『オカピぼうやのちいさなぼうけん』と『がんばれローラーくん』
の二本立ても、まだお席ございます!
こちらはまもなく、2月6日からです。
長谷川義史さんの絵本原画の展示もあわせてお楽しみください!
人形たちの動く様子をちょっとだけご紹介・・・↓
2022年1月31日
『カモメに飛ぶことを教えたドラ猫の物語』 3月公演中止のお知らせ
この3月に予定しておりました
ブルガリア・ソフィア人形劇場との共同制作公演『カモメに飛ぶことを教えたドラ猫の物語』は、中止とさせていただきます。
度重なる延期にも関わらず、変わらずに応援し楽しみにしてくださっていた皆様には、このような残念なお知らせとなってしまいましたこと、心よりお詫び申し上げます。
私達は、二度の延期を経て、この3月の公演実施に向けて準備を進めてまいりました。
ソフィア人形劇場のメンバーも、日本での待機期間の隔離についても覚悟を決め、最後まで来日を目指してくれていました。しかし、オミクロン株に対する水際対策の強化により、海外アーティスト入国の目処が立ちませんでした。私達も悔しくてなりません。
ブルガリアのメンバーも私達も、今回届けられなかったこの作品を必ずや日本のみなさんに届けたいと考えています。次にむけて、あらためて準備をすすめることにいたしました。
実施することが決まりましたらご案内いたします。
どうぞ引き続きのご声援をお願いいたします。
2022年 1月 31日 プーク人形劇場

2022年1月19日
プーク人形劇場誕生50周年シリーズ⑨
寒さ厳しき折、皆さまいかがお過ごしでしょうか。今年もゆったりペースでプークにまつわるあれこれをご紹介してまいりますので、おうち時間のおともにお付き合いいただけたらと思います。
さて今日から2回連続でプーク人形劇場の外観についてお話してまいります。まずは劇場という建物についてのお話です。昨年10月15日発行の「みんなとプーク」第277号『プーク見聞録』の記事より、ご覧ください。(※注釈のない写真はすべてイメージ画像です)

プーク見聞録 ~劇場50周年~
その3「碑と壁面彫刻」
1971年、プーク人形劇場が誕生した年に発行された記念誌の中で、当時の劇団で代表を務めていた川尻泰二は建物の完成を「やはり大きな喜びである」としながら「だがそれは、われわれが更に新しいスタートラインに立ったことを意味する」と語り、その訳を「”仏つくって魂入れず”ということになっては何にもならないことだからである」と記しました。

また、文中には全長27メートルの劇場を「奈良の大仏のほぼ2倍」の高さだと感慨深く語る氏の言葉も残されており、そこからは劇場と仏象を重ねて見ていた眼差しが感じられます。今回は、そんな氏の残した言葉の由について、劇団に遺された文献や多少の民俗学分野の研究を手掛かりに探ってみたいと思います。
まず、一般に劇場とは建築物です。したがって御仏の姿を模した仏像のような鋳物や石造物とは造られる目的から異なります。但し、ここで注意すべきは劇場のように何らかのことが演じられる場とは、本来は神に祈りを捧げる場であったということです。先ほどの川尻氏の文章にもあった奈良の大仏は、正確には東大寺盧舎那仏象と言い、奈良県は東大寺の大仏殿に本尊として納められていますが、こうした仏殿が建立されるような土地は、それより以前の古い時代から神木や石神などの神体が祀られていた所を選ぶことが多く、そのような巨木や奇岩を境内に祀っている寺社は現在も多く見られます。

また縄文など古来より、それらの神体には土地の人々による五穀豊穣や安産祈願などの「実り」に対する祈りを捧げられてきました。その切実なる祈りは、後に様々な形へと発展していったと考えられますが、その一つに祭りがあります。元来、祭りは神が降りて来るのを待つ儀式であったと言われていますが、その最中において人々は神を待つために様々な祭儀を行い、祭りの起源や謂れを伝承するために芝居を演じて物語るようになったのではないかと考えられます。また、そうした祭事を行った場が今の劇場の原風景であるように私には思えてなりません。

以上のように日本の原始宗教は祭文や祭事などの中に民族の伝統を遺してきたのですが、やがて大陸から文字が伝播されると、石などの自然物にそれを刻む慣習が生まれます。文字を彫られた石は、石碑もしくは「碑」と呼ばれ、表面にはその地に伝わる”忘れてはならない過去の謂れ”が刻まれています。そうした石を日常的には記念碑などと呼びますが、けして軽んじて然るべきものではありません。なぜならば、そこには何か「魂」とでも言えるものが刻まれているからです。

さて、ここで話を劇場の方へと戻しますと、プーク人形劇場が誕生した当時「コンクリート直彫り」と謳った劇場の外壁には、多くの碑文が刻み込まれています。それらは劇団が創立されてからの歴史や「多くの困難の中にプークの未来を信じつつ世を去った人たちの名前または愛称」をエスペラント文字で刻んだ数多の徴です。そして、それらの碑文を彫り込んだ劇場を、川尻泰司は「42年の足跡を絵入年代記として彫り込んだいしぶみである」と述べています。つまり、氏はこの劇場を石仏より前の原始的な神体になぞらえて考えていたのではないでしょうか。

飛鳥時代に大陸から仏教が伝来されるより以前、原始の時代における神体は仏像ではなく自然にある石や木でした。森羅万象の事物に神が宿ると考えた日本のアニミズムにおいて、生活に恵みをもたらす木や石の中でも特に巨大なものや奇態なものは人々に畏敬の念を抱かせました。
こうした呪術的ともいえる強大な力を「太陽の塔」の造形などで知られる岡本太郎氏は「なんだこれは!」という戦慄の言葉で端的に表現していますが、本来、石とはそうした底知れぬ力を内に秘めたものなのです。プーク人形劇場はコンクリート造であるため、その材質は純粋な石ではありませんが、やはり川尻泰司がそれを「碑」であると書いている以上、本質的にはやはり石の建築物と考えるべきでしょう。だからこそ、劇場は仏でもあり得ると共に「魂」の入れものとしても成り立つのです。

▲ 劇場壁面のレリーフ(正面入口左側)”たとえ ひとりになっても私は歩みをやめない。新しい仲間は必ず集まってくる。プークがやろうとするのはそのような人形劇の仕事だ!”
では、その肝心な「魂」とは何かといえば、それは人形劇を含む芸術の全てではないかと私は考えます。劇団の記念碑でもある劇場に表現者の心に灯る火を絶やさぬことで、劇場に宿る「魂」は今も燃え上がり続けているのです。在りし日に建築現場の職人さんたちから「石屋さん」と呼ばれ、壁面の削石に打ち込んだ日のことを川尻泰司は「幸せに満たされた日々」と回想しています。その胸に煌いたであろう喜びへと想いを寄せながら、この度は筆を置くことにします。(文・池田日明)

いかがでしたか。次回は壁面に掘られた印や名前について、一つ一つ取り上げてみたいと思います。どうぞお楽しみに。

