僕はプークのプー吉。
よろしくね!
ここではプークの
ことを紹介するよ ぼくはチビ!
ワンワン!
劇団の名称
「プーク」(PUK)の由来について
人形劇団プークは1929年(昭和4年)に創立されました。(「プークの歴史」参照)。創立のときの劇団の名は「人形クラブ]です。
人形クラブを創立した時代、1920年代はヨーロッパ全土を巻き込んだ第1次世界大戦がようやく終わり、二度と戦争を起こすまいとの願いから、様々な平和のための運動がおきました。ロマン・ローランやジョリオ・キューリーらの「平和の擁護」運動や中部ヨーロッパを中心とする青年たちの「ワンダーフォーゲル」運動などがありますが、その中のひとつに,「言語の違いが意志の疎通の障害になり、それが戦争につながる」と考えたザメンホフが、創案した国際共通語エスペラント(希望の人の意)運動があります。
プークを創立した青年たちは、このエスペラント運動にも関心をもっていたことから、自分たちが創った「人形クラブ」の名を、国際的にはエスペラント語で
LA PUPA KLUBO
を正式名称とし、仲間内では、人形を意味するPUPAの “PU” と、クラブを意味するKLUBOの “K” をとって PUK(プーク)と略称でよんでいました。それがいつしか人形クラブの通称となり定着していきました。
戦後、1946年11月、劇団を再建にあたり、劇団名を正式に「人形劇団プーク」としました。
これが プーク=PUK の名の由来です。
人形劇団プークは3つのセクションで
構成されています
舞台活動を中心とする劇団プークと人形劇場の事業、管理ならびに附属アカデミーの運営などを行なうプーク人形劇場、そしてテレビ、映画など映像の製作にあたるスタジオ・ノーヴァの三つの部門で構成され、それぞれが独立した法人経営体として独自に運営しています。
スタジオ・ノーヴァ
プークの映像専門部門として1970年に独立。TV放送開始以来NHKをはじめ民放各社の番組作り携わってきた、映像人形劇のパイオニアです。
劇団プーク
1929年創立の、人形劇団プークの母体となる劇団部門。舞台人形劇の制作と上演活動、ワークショップの講師や、人形操演など、近年活動は多岐にわたります。
プーク人形劇場
1971年建設の、日本で初めての人形劇専門劇場。以来、プークの公演はもちろん、国内外の伝統から現代まで、幅広く上質な人形劇作品をひろく紹介しています。
プーク連名/PUK Members
人形劇団プーク
代表 栗原弘昌
スタジオ・ノーヴァ
代表 松山 一義
- 西村 仁志
- 大額 博之
- 菅澤 敬一
- 川端 幸子
- 白岩 七瀬
- 田中 ゆきえ
- 坂本 翠
- 牧 のぞみ
- 高橋 アリサ
- 菅野 みどり
- 大内 好子
- 本間 利奈
- 関 彩耶
- 上村 繭子
- 久家康寿
- 小池 俊章
- 濱野 紬
- 出塚 真由
- 山部 俊文
劇団プーク
代表 石田 伸子
- 岸本 真理子
- 小梛 田美子
- 大橋 友子
- 井上 幸子
- 原山 幸子
- 滝本 妃呂美
- 柴崎 喜彦
- 市橋 亜矢子
- 西本 勝毅
- 栗原 弘昌
- 中山 正子
- 佐久間 弥生
- 川尻 麻美夏
- 山越 美和
- 亀井 佑子
- 坂上 浩士
- 有田 智也
- 長瀬 円美
- 竹野 明日香
- 前田 佳奈英
- 川名 武
- 遠田 香苗
- 池田 日明
- 伊賀 昌美
- 佐藤 翔太
- 阿部 銀子
- 勝二 春陽
- 吉田 実耶子
- 四方 隆互
- 田中 里子
- 野田 史図希
- 伊藤 由加里
- 亀田 沙織
プーク人形劇場
代表 伊井 治彦
- 小野 優美
- 高畠 ルミ
- 吉川 安志
- 小原 美紗
- 石田 律子
- 小立 哲也
- 渡辺 真知子
功労劇団員
竹内とよ子 星野 毅 長谷 詔夫
佐藤 東 佐藤 達雄 岡本 和彦
団友
斉藤 英一
プー吉&チビについて
みなさんおなじみ、プークのアイドル「プー吉」くん。このプー吉が生まれたのは1931年(昭和6年)のこと。手使い人形劇の『ニワトリ』(南原四郎 作)というお芝居で初めて登場しました。街に失業者があふれていた時代を反映して、プー吉も「失業者」として生まれました。
そんな当時のプークの舞台は、公会堂や劇場ではありません。 中小工場地帯の集会所や、農民組合の農家の座敷、時には荒川土手の藪の中など、様々な場所で行われる集会が、プー吉の活躍する舞台でした。ハンチングをかぶり、くりくりしたどんぐりまなこで、ユーモアにあふれ楽天的、行動力があるプー吉は、 子どもだけでなく大人にも、たちまち人気者になりました。
劇場以外のあらゆるところに出かけていって、プー吉が大活躍した公演の歴史は、今もプークに受け継がれています。1969年からはじまったプークの移動公演班「プー吉劇場」。この名称には、〜どこへでも出かけよう、舞台設備のない会場でも可能な作品を〜という思いが込められているのです。
今はなくてはならないパートナーのチビが誕生するのは、プ一吉誕生よりしばらく後のことです。戦後のお芝居には登場していましたが、どの作品から登場したかは、はっきりした記録が残っていません。戦時中の混乱もあり、ちゃんとした記録が 残せなかったのかもしれません。